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最高裁判所大法廷 昭和23年(れ)1031号 判決 1950年3月15日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人市原庄八の上告趣意について。

本件の第一審判決は、判決時において少年であった被告人に対し、懲役一年以上二年六月以下(上告趣意書に一年以上三年以下とあるは誤記と認める)の不定期刑を言渡したが、これに対して被告人から控訴の申立があり、原審判決は、その判決時において既に成人となっていた被告人に対し、懲役一年六月の定期刑を言渡した(何れも改正少年法施行前のことである)。これに対して所論は、原判決が懲役一年六月を言渡したのは、旧刑訴四〇三條に「被告人控訴を為したる事件…………に付ては、原判決の刑より重き刑を言渡すことを得ず」とある規定に違反した違法があると主張するのである。

しかし、本件第一審の不定期刑の中間位は、一年九月であり原審の定期刑は一年六月であるから、後記補足意見のいわゆる中間位説によるも長期説によるも共に原審の刑は第一審判決の刑より重いものではなく、從って不利益変更禁止の旧刑訴四〇三條に違反する違法は存在しないのである。それ故、論旨を採ることはできない。

よって旧刑訴四四六條に從い主文のとおり判決する。

この判決は、反対意見を有する裁判官長谷川太一郎、河村又介、島保を除く他の裁判官の一致した意見である。

裁判官塚崎直義、霜山精一、真野毅、小谷勝重、岩松三郎、穂積重遠の補足意見(中間位説)は次のとおりである。

この問題に対しては、色々の考え方が、対立して存在する。まず、(一)第一審判決が不定期刑を言渡している本件のごとき場合には、第二審判決当時に被告人が成人であっても、なお不定期刑を言い渡すべきだとする見解(不定期刑説)がある。その主要な理由は、不定期刑と定期刑とでは軽重の比較を立てることが不可能であるからかかる場合には軽重の比較の容易に可能な不定期刑を科すべきでありその外に科刑の方法はないと言うのである。しかしながら、この説は、まさに事物の本末を逆さに眺めた見解である。と言うのは、法定自由刑としては、成人に対しては常に定期刑を科し、少年に対しては法定の條件の存する場合に限り不定期刑を科するのが一番大切な根本事である(旧少年法八條、少年法五二條)。そして、成人か少年かを区別するには、裁判時を標準とすべきものであることは、動かし難い定説である。だから、裁判時に成人である被告人に対し、不定期刑を科すべきとする見解は、すべて法定されていない刑を科せんとするものであって、刑法における最も根本的な原則である罪刑法定主義の原理に反する誤った見解であると言わねばならぬ。それ故、法定刑としては、たとい第一審において不定期刑を言渡している場合においても、第二審は成人に対しては定期刑を言渡さなければならない。そうすると、必然的に第一審の不定期刑と第二審の定期刑との軽重比較の問題が起って來る。しかし、それは單に、旧刑訴四〇三條の解釈適用の問題であるに過ぎない。すなわち、第二審においては抽象的な法定の刑(定期刑不定期刑の種別、刑の種類、刑の量)と適法な処断刑の範囲内で具体的に宣告刑を盛ることを要すると同時に、旧刑訴四〇三條の要請により第一審の宣告刑より重からざる刑を盛ることを要する。この後の要請により宣告刑の軽重を定めるのは、価値判断である一つの法律解釈の問題である。第二審の宣告刑は、この後の要請に反しない限りにおいては(本件では解釈上軽重を定めることが可能な限りにおいては)飽くまで法定の刑の範囲内である定期刑によって盛り定められなければならぬ。そこで、今本件ではかかる適法な二つの宣告刑について單に軽重の対比という価値判断が問題とされるのである。しかるに、この宣告刑の軽重対比の価値判断を不可能だと速断し、たやすく回避しつゝ却って逆さまに罪刑法定主義の鉄則を破って、成人に対し不定期刑を言渡すべきだとする不定期刑説は、実に本末顛倒の考え方である。(なお、裁判官は良心に從って最も適当と思料する刑を量定すべき原則があることを理由として、不定期刑を科そうとする見解がある。しかし裁判官が良心に從うのは、法令の枠の拘束の内のことであって、法定されている刑の種別を無視し、成人に対し不定期刑を科することは、到底許されない)さて、(二)いよいよ懲役の不定期刑と定期刑との軽重は、いかなる標準によって定むるを相当とすべきであろうか。刑法一〇條は、刑の軽重を定めているが、その第一項は双方とも有期懲役である本件の場合には関係なく、第二項第三項は法定刑及び処断刑について定めたものであって本件のごとき宣告刑の軽重を比照する場合に適用はない。またその他の何処にも本件のごとき宣告刑の軽重比照について定めた規定は存在しない。されば、本件のごとき場合の刑の軽重は、一方においては不定期刑の本質を考慮し、他方においては、條理すなわち事物の合理性に從う価値判断によって定められるべきである。少年に対する刑罰は、一般に少年は心身の発育が未熟で思慮分別が定まらない状態にあること及び從ってまた改過善導が比較的になし易い年代にあることを考慮して、成人に対するよりは比較的軽い法定刑及び処断刑を定めると共に、長期三年以上の有期自由刑をもって処断すべきときに限り、短期と長期とを定めていわゆる相対的不定期刑を宣告すべきものとしている(旧少年法七條、八條)。そしてこの不定期刑は、少年受刑者に対する感化善導の効果の現われる程度に應じて、予め定められた短期長期の幅の間において、刑の執行に当る行刑当局の判断によって、適当の時期に刑を終了せしめようとする彈力性と柔軟性をもった制度である。それは予め短期に重点を置くのでもなく、また長期に主眼点を置くのでもなく、両者を睨み合せた一つの統一ある刑罰であることが、まさに不定期刑の本質である。されば、長期短期の時間的幅をもって線的に定められた不定期刑と時点を限って点的に定められた定期刑との軽重を比較判断するには、不定期刑を全体的に取り上げて観察することによってなすべきものであって、或はその長期のみ、或はその短期のみと言うがごとき両極端の一端だけを捉えて比較の対象とすることは、甚だ一方に偏り過ぎて当を得ざる不合理なものである。真理は、この場合においても、二つの極端の中間位に横たわっている。すなわち、不定期刑の長短両極の中間位に当る時点(本件においては一年九月)を標準として、これを定期刑の時点と比較対照して、長い方を重いとすべきである。これを中間位説と名ずけることができよう。この中間位説における中間位こそは、不定期刑の両極を平等に眺め、両極の中間において起り得るあらゆる可能性を真に均衡化することのできる唯一の平均時点であると言わねばならぬ。例えば、本件のごとき不定期刑においては一年で刑の終了する可能性があると同時に二年六月で刑の終了する可能性もある。また一年二月、一年四月、一年六月又は一年八月で刑の終了する可能性があると同時に、二年四月、二年二月、二年又は一年十月で刑の終了する可能性もある。すなわち、中間位一年九月の上下両側には常に対蹠的にさまざまの可能性が対立存在するが、これらのあらゆる可能性のバランスを保ち得せしめる平均時点は常に唯一つの中間位あるのみである。それ故、この不定期刑の中間位を標準として定期刑と対比し、両者の軽重を測定することは、極めて合理的であり、健全な常識にもよく合致するのみならず、実際的にも簡明正確な基準を示すものと言うことができる。しかるにこれに反して、(三)第二審における定期刑は、第一審における不定期刑の短期を超えてはならないという見解がある(短期説)。これは全く前述のごとき不定期刑制度の本質を理解せず、両極の一端のみに眼を奪われた偏見以外の何ものでもない。短期だけで刑の執行が終了する可能性があると主張するけれども、單なる一つの可能性から言えば、同時に二年半で刑の執行が終る可能性も内包されている一つの不定期刑であることを見逃してはならぬ。短期説では第二審で成人となった被告人は、第一審の刑に比し甚だしく寛に過ぎる不当な利益を受け得るわけであるから、ただ濫に上訴の弊を誘発するばかりでなく、常に第二審判決時までに成人に達し得るようあらゆる訴訟遅延の方策を弄せしめるに至る実際上の弊害をも生ずることは、一点の疑いもない。殊に、短期説の理由として、不定期刑の場合の仮出獄は短期を標準とし、かつ仮出獄の処分を取消されずに仮出獄前に刑の執行を受けたと同じ期間を経過すれば、刑の執行を終ったものとされるのであるから、かかる被告人に利益な可能性を害せざるために、第二審においては第一審の不定期刑の短期を超えた定期刑を言渡すことを得ないとする見解がある。しかしながら、少年に対する仮出獄のごときは、裁判官の言渡すべき刑そのものではなく、單に行刑当局の手に委された刑の執行に関するものたるに過ぎない。刑の執行を問題とするならば、執行の場所、方法等についても少年囚に対すると成人囚に対するとによって利害が異なる点が多い(旧少年法九條、監獄法、同施行規則其他)。されば、仮出獄というがごとき末梢に属する行刑の問題を捉え來って、宣告刑そのものの軽重を論ずる標準とすることは、頗る当を得ない。のみならず、本件の短期一年を例にとれば、少年は四月で仮出獄する可能性があり、從って八月で刑の執行を終る可能性があるから(旧少年法一〇條、一一條)、若し前記の見解理由を採るにおいては、被告人に利益なこの可能性を害せざるために、短期の一年は愚か短期の三分の二に当る八月を超えた定期刑を言渡すことはできないと言う甚だ珍妙な結果を是認せざるを得なくなるのであろう。最後に、(四)短期説と正反対の立場において、不定期刑の軽重を比較するには、長期を標準とすべきであるとし、刑法一〇條をその根拠とする見解がある(長期説)。しかしながら、この説もまた、不定期刑制度の本質を誤解し、両極の他の一端に執着した偏見たるに過ぎない。同條二項では、同種の刑は長期の長いものを重いとすると言っているが、これはその用語の自体によっても明らかなように、法定刑又は処断刑に関するものであって、宣告刑に適用せらるべきものではない。量刑に際し、抽象的な法定刑や処断刑について刑の軽重を比照し重き刑を定める必要がある場合は、その主たる目的が抽象的にただ量定し得る刑の最大限を探求するにあるのだから、一應短期の長短を無視しこれを度外視して、ただ長期の長短のみによって刑の重さをきめると言う同條項の規定は、甚だ合理的なものである。だがしかし、宣告刑は、抽象的な量定し得る刑の最大限を探求する過程ではなくして具体的に盛り定められる刑の適量であるから、宣告刑の軽重を判断する場合にはその具体的な適量の全部を比照することを要するわけである。從って、短期を度外視しただ長期のみを標準として刑の軽重を決する同條項の規定は、宣告刑の軽重比照の場合に適用がないばかりでなく、これを類推することもできない。長期と短期の幅をもつ不定期刑の長期の一端だけを捉えて比較の対象とすることは、決して全体的に比照することとはならずして、短期説が甚だしく寛に過ぐるのと異なり、この長期説は反対に甚だしく酷に過ぐるものと言わねばならぬ。

さて、本件第一審の不定期刑の中間位は、前述のごとく一年九月であり、原審の定期刑は一年六月であるから、いはゆる不利益変更禁止の旧刑訴四〇三條に違反する違法はなく、從って論旨は採ることを得ない。

裁判官沢田竹治郎、齋藤悠輔の補足意見(長期説)は次のとおりである。

刑罰法令各本條が有期の懲役又は禁錮の刑を法定するのに三つの方法を採用している。

第一は、明らかに長期の外明らかに短期をも定める方法である。例えば、刑法七七條一項二号後段、七八條は一年以上一〇年以下の禁錮と定め、同八八條、一〇一條、一一〇條一項、一一四條、一二〇條、一二一條、一三八条、一四七条、一五五條一、二項、二二五條等は一年以上一〇年以下の懲役と定め、同一〇六條一号は一年以上一〇年以下の懲役又は禁錮と定め、同九三條は三月以上五年以下の禁錮と定め、同一一一條一項、一六二條、一六三条、一六九條等は三月以上一〇年以下の懲役と定め、同一九四條は六月以上一〇年以下の懲役又は禁錮と定め、同九八條、九九條、一〇〇條二項、一三七條、一五三條、一五九條一、二項、一六五條、一八六條二項、二一三條後段、二一四條前段、二一八條一項、二二〇條一項、二二四條、二二七條一項等は三月以上五年以下の懲役と定め、同二五八條は三月以上七年以下の懲役と定め、同一〇九條二項、一三九條二項、一四三條、一七六條、二一四條後段、二一五條、二一八條二項、二二〇條二項、二二七條二項等は六月以上七年以下の懲役と定め、同一〇六條二号、二〇二條等は六月以上七年以下の懲役又は禁錮と定めている。

第二は、明らかに短期のみを定めて長期を明らかに定めない方法である。例えば、刑法八二條、一〇九條一項、一三五條、一四六條前段、一四九條、一六四條、一一七條、二〇五條一項、二二六條等は二年以上の懲役(刑法は死刑又は無期刑と有期刑とを選択的に定めるときは有期刑を單に懲役と表示し有期刑のみのときは特に有期懲役としている以下同様である)と定め、同一九七條の三第一、二項は一年以上の有期懲役と定め、同七七條一項二号前段は三年以上の禁錮と定め、同一一九條、一二六條一、二項、一四八條、一五四條、一九九條、二〇五條二項等は三年以上の懲役と定め、同一〇八條、一四六條後段、二三六條等は五年以上の懲役(又は有期懲役)と定め、同二四〇條前段、二四一條前段は七年以上の懲役と定めている。

第三は、明らかに長期のみを定めて短期を明らかに定めない方法である。例えば、同法二三五條、二四六條は一〇年以下の懲役と定めている等枚挙に遑がない。

そして、右第二の場合の長期は刑法一二條所定の一五年を意味するものであり、右第三の場合の短期は同條所定の一月を意味するものであるこというまでもない。されば、有期の懲役又は禁錮の法定刑の軽重は、右三つの方法によるいずれの場合においても、その長期と短期の範圍内における刑全体の軽重をいうものであることもいうを俟たない。從って、刑の軽重を比較するのに全体的対照主義重点的対照主義なる言葉を使用するのは全く無用の論であって、刑の軽重は常に全体を比較するものであることを忘れてはならない。

そして、刑法一〇條は、主刑の軽重について標準を定め、主刑の軽重は、同條一項但書の場合の外その前條記載の死刑、懲役、禁錮、罰金、拘留及び科料の順序に依るものとし、主刑全体の軽重を定めるには、前記但書の場合を除くの外常に刑の種類中最も重き種類の刑を標準として、その全体の軽重を定むべき原則を表明しており、また、同種の刑は、長期の長いものを重とし、長期の同じなものは、その短期の長いものを重とし、長期及び短期の同じなものは犯情により、その軽重を定むべきものと規定している。されば、右有期の懲役又は禁錮の各法定刑全体の軽重を定める場合には、前記三つの方法によるいずれの場合の各の間又は相互の間においても右刑法一〇條所定の標準に從うべきものであること明白である。そして、刑法一〇條は廣く主刑一般の軽重について規定したもので何等の制限を設けていないのであるから、右の標準は、独り法定刑の軽重を定める場合に限らず、これを加重減軽したいわゆる処断刑の軽重(例えば刑法四七條、七二條三号)並びにその処断刑の範圍内において量定したいわゆる宣告刑の軽重(例えば旧刑訴五三七條新刑訴四七四條)を定める場合においても同一であって、等しく刑法一〇條の適用あるものといわなければならない。

そして、少年法五二條(旧少年法八條)は、「少年に対して長期三年以上の有期の懲役又は禁錮をもって処断すべきときは、その刑の範圍内において、長期と短期とを定めてこれを言渡す。但し、短期が五年を超える刑をもって処断すべきときは、短期を五年に短縮する。前項の規定によって言い渡すべき刑については短期は五年、長期は十年を超えることはできない。」旨規定して、法定刑が長期一五年、短期七年(前記刑法二四〇條、二四一條各前段参照)の懲役又は禁錮であり、処断刑が長期二〇年(刑一四條参照)の懲役又は禁錮である場合でも、常に、長期一〇年短期五年を超えない緩和された範圍内において、長期と短期とを定めた宣告刑を言い渡すべきものと定めている。從って少年法によって言い渡されたいわゆる不定期刑なる宣告刑全体と刑法によって言い渡された定期の宣告刑全体との軽重を比較する場合においても刑法一〇條によりその長期を標準とすべきこと当然であらねばならない。これをわが国從來の行刑の実際に徴しても昭和一五年一二月二四日司法省行刑局行甲第一五八六号通牒の出されるまでは不定期刑の執行はすべて不定期刑の長期を標準としてこれを行いいわゆる不定期刑釈放をば全然行わなかったのである。

この場合長期を標準とするは酷に失するとの説は、少年法による不定期刑の長期は刑法による法定刑及び処断刑を緩和した宣告刑であることを見誤ったものである。また、短期を標準とすべきものとする説は、旧々刑訴二六五條に「原判決を変更して被告人の不利益と為すことを得ず」との規定を旧刑訴四〇三條(新刑訴四〇二條)において「原判決の刑より重き刑を言渡すことを得ず」と改めたのを見落し、苟しくも原判決を不利益に変更してはならないと誤解するものであるか若しくは刑法において明らかに短期を定めた場合でも長期を標準として刑の軽重を決すべしとする法理に違反するものである。若しそれ中間位説のごときは「裁判官の言渡した刑の終期」と「單なる行刑当局の手に委された刑の執行に関する本釈放の時期」とを混同する俗論であって、事実審の裁判官に法律上の正確な標準を与えない何等の根拠もない独断説である。しかのみならず前記短期説と同じく、旧刑訴の下にあっては控訴審の檢察官において常に附帯控訴を為すの外、また、新刑訴の下にあっては第一審の檢察官において常に独立控訴を為すの外第一審判決が正当に言い渡した長期刑を維持することができなくなり、惹いて第一審判決の短期刑が引き上げられる結果を来す虞れのある有害な説といわなければならない。また、二審で成年となった少年に対しても不定期刑を科すべしとする論は、中間位説論者の誤り非難するごとき(論者は、定期刑、不定期刑を法定刑の種別であると独断誤解している)罪刑法定主義に反する点は全然認められないが、結局二審当時の成年に対しても少年法を適用すべしとする立法論に外ならないから、採ることができない。

裁判官栗山茂の補足意見(長期説)は次のとおりである。

少年に対する感化は環境の犠牲者である少年更生の一方法であって、成人に対する刑罰とは本質を異にするから、少年に対する宣告刑である不定期刑と、成人に対する宣告刑である定期刑とは比較の尺度がないのである。少年に対する不定期刑の短期は少年なるが故にその感化に重きをおいて定むべきものであり、その長期は感化のためとはいえ少年の自由を制限しうる限度を示すものと見るのが相当である。かくの如く短期は感化刑である不定期刑に特有のものであるから、成人に対しても、少年に対する不定期の短期よりも重い定期刑を科することができないとすることは、依然として比較すべからざる両者を比較してその軽重を決せんとするものである。それ程までに旧刑訴第四〇三條の規定を擴張解釈して成年になった少年の利益を保護せんとするならば、少年の成年になっても第二審においても猶且不定期刑を以て臨むべしとするのが合理的であろう。しかしそれでは旧刑訴四〇三條の解釈適用の域を脱するの虞なしとも言えないので右両説は採用し難いと思はれる。

次に少年である被告人に言い渡した不定期刑の長期と短期との数字の中間をとって、成人となった被告人に言い渡した定期刑とを比較すべしとする説がある。しかし不定期刑の中間は感化の標準ではない。かりに言い渡された二つの不定期刑を比較するにしても、甲の長期と短期との中間の数字が乙の長期と短期とのそれと同じであっても両者に刑の軽重はありうるのである。不定期刑の本質とは何等の関係もない中間の数字をとらえて、定期刑との軽重を比較せんとするのは計算の遊戯を以て法律解釈と呼ぶものである。

もともと旧刑訴四〇三條の趣旨に適合せしめるために比較すべからざる不定期刑よりも重い定期刑を科することができないという命題を解釈するの外はないとすれば、不定期刑に特有な短期は前に述べたように、われわれが右解釈をするのに考慮する必要がないものである。たゞし旧刑訴四〇三條は後の宣告刑を前の宣告刑よりも重くしてはならないというのであるから、前の宣告刑である不定期刑ではその長期が被告人にとって自由を制限せられうる限度であるので後の宣告刑である定期刑は、その長期よりも重くしてはならないと解するのが妥当である。

本件においては、松山地方裁判所が第一審として被告人に対して懲役一年以上二年六月以下の不定期刑を宣告したのに対し高松高等裁判所が第二審として懲役一年六月の定期刑を宣告したものである。後者の懲役一年六月は前者の長期である懲役二年六月よりも重くないことは明であるから原判決は毫も旧刑訴四〇三條の規定に違反するものではない。よって上告人の論旨は理由なきものである。

裁判官藤田八郎の補足意見(長期説)は次のとおりである。

一審裁判の時に少年であったがために旧少年法八條に從い不定期刑を言い渡されたものも、二審裁判当時成人となったものに対しては少年法の適用はなく、かかる被告人に対しては刑法に從い定期刑を言い渡すべきものであることは疑いないところであり、この場合においても旧刑訴四〇三條不利益変更禁止の規定はその適用があるものといわなければならない。しかしながら不定期刑と定期刑といづれが、同條にいわゆる重い刑であるかを定むる基準としては、若し二審の宣告刑が一審で言い渡された不定期刑の長期よりも長い刑である場合には前者が後者よりも「重い刑」であることは明白であるけれども、それ以外には両者の軽重を比較すべき基準に関して、法律に何ら特別の規定はないのである。不定期刑は、その短期と長期との間の期間内において、実刑者の行刑上の成績如何により現実に執行さるべき刑期が確定するのであって、それまでは現実に執行さるべき刑期は未確定である。未確定である刑期と、始めから確定された刑期とを比較してその軽重を定めることは無理である。不定期刑の短期より長い定期刑を科したとしても、その長期より短いかぎりは、これを一概に「重い」とはいえない。不定期刑の側からいえば、一方において右定期刑より短い短期を以て釈放される蓋然性があると共に、また、一方においては右定期刑より、長い長期まで服役しなければならない蓋然性もあるのであって、この両方の蓋然性を秤に入れて定期刑との比重をはかるということは、とうてい、できない相談である。秤にかけ得るところは只不定期刑の長期のみである。結局、不定期刑の長期を超えない限りは、いかなる定期刑も不定期刑より旧刑訴四〇三條にいう「重い刑」であると断ずることはできないのである。

わが少年法には採用されていないけれども、いわゆる絶対的不定期刑すなわち長期も短期も定めない不定期刑の場合を考えれば、その定期刑との軽重を定めることは絶対に不可能である。いわゆる相対的不定期刑についても、その理は、これに近いといわなければならない。もともとこの二つの刑種はその本質において異るものである。さらに例を懲役刑と禁錮刑との比較にとってみても、二年の懲役と三年の禁錮といづれが重いか、若し、刑法一〇條のごとき特別の規定がなかったならば、本質的にその軽重を比較し得るものではないのである。

要するに裁判時成人である被告人に対しては普通刑法に從って、その人と罪とに対して、最も適切なる刑罰を科すべきであるが、たゞ、旧刑訴四〇三條の制約を受けるために一審不定期刑の長期よりも長い刑期を宣告することは許されないというにとゞまる。(ただ不定期刑の長期というものは、それが不定期刑なるが故に比較的長く定められる傾向を有するものであるから、第二審において現実に量刑するにあたっては、十分に旧刑訴四〇三條の精神を考慮して、被告人に対して過酷にわたらないように心しなければならないことは勿論である。)從って本件においては、原審の宣告刑は、何ら旧刑訴四〇三條の規定に違反するものではないのであるから論旨は理由がない。

裁判官長谷川太一郎及び同河村又介の反対意見は次のとおりである。

本件第一審判決は一年以上二年六月以下の不定期刑を言い渡したのであるから、被告人は一年を以て刑期を満了(仮出獄の問題は姑く論外におく)するという可能性があった。しかるに原審判決は一年六月の定期刑を科したのであるから、必ず一年六月を経なければ刑期は満了しないこととなった。その限りにおいて原判決の刑は第一審の言い渡した刑よりも重くなっているのであって、明かに旧刑訴四〇三條の規定に違背する。それ故に原判決は違法のものとして破毀されなければならない。

旧刑訴四〇三條の規定する控訴事件において、不定期刑を科した第一審判決と定期刑を言い渡した控訴審判決との刑の軽重を比較する標準については、長期説、中間説共に第一審判決の短期による刑期満了の可能性を奪う点において、違法であること島裁判官の少数意見に説かれているとおりである。その点から観れば同裁判官の短期説は最も無難である。しかしそれは無難であるというだけであって、他の観点から見れば必ずしも完璧とは云えない。思うに旧刑訴四〇三條に定めた場合の控訴審裁判官は、二つの法律的要請に拘束せられる。先ず第一に裁判官として自己の良心に從い最も適当と思料する刑を量定しなければならない。しかし第二にその刑は同條のいわゆる不利益変更禁止の原則に從って第一審判決の刑より重くてはならない。短期説によるときには、第二の原則は完全に貫徹されるが、第一の要請は必ずしも充分には満たされない。固より控訴審裁判官が適当と思料する刑が、第一審判決の刑の短期以下である場合には、問題はない。しかし控訴審の相当と思料する刑が第一審判決の刑の短期より長い場合には、それだけの期間の刑を執行し得る可能性を存しておく方が短期以下に釘付けするよりも、一層よく第一の要請に副う所以であろう。本件について観れば、原判決が懲役一年六月の刑を言い渡したのは、一年六月の懲役が最も妥当と思料せられたからに相違ない。短期説はいわゆる不利益変更禁止の原則に忠ならんとするの余り、強てこれを必ず一年以下に短縮せしめ、その限りに於て前記第一の原則を犠牲にするものである。しかし若しいわゆる不利益変更禁止の原則を害うことなくして、一年六月の懲役を執行し得る方法、若しくは一年六月の懲役を執行し得る可能性を保存する方法があるとするならば、その方が、刑法の理想に一層近いものと云わなければならない。そのような方法が果してあるであろうか? 次ぎのような方法によるときは、比較的に最もよくその目的を達することができるであろう。

控訴審裁判所は先ず自ら妥当と信ずる定期刑を一応量定する。この刑期が第一審判決の刑の長期より長くあってならないことはいうまでもない。その短期以下であるときは何等の問題をも生じない。若し短期と長期との間であるときには、第一審判決の短期を以て刑期満了となる可能性を奪うことになるから、その可能性を保存するために、この短期と同じ刑期を短期とし、自ら量定した刑期を長期とする不定期刑を言い渡す。本件について云えば、一年以上一年六月以下の刑を宣告するのである。かようにすれば、いわゆる不利益変更禁止の原則を侵すことなくして、しかも裁判所の所信のとおりの刑を執行し得る可能性を保持し得るであろう。

右のような方法に対しては、成年に達した被告人に不定期刑を科することは、法律的根拠を欠くという非難があり得よう。しかしわれわれは、漫然たる不定期刑説のように、第一審に於て一旦不定期刑を科したからには、被告人が控訴審判決の時に成年に達していても、不定期刑を宣告しなければならぬというような漠然たる理由によって、不定期刑を主張しているのではない。根本においては控訴審裁判所の所信のとおりの定期刑を科すべきであるという理論の上に立つ。唯第一審判決の刑よりも重くなることを避けるために、その短期による刑期満了の可能性をこれに附け加える結果、不定期刑の形をとるだけのことである。從って第二審裁判所が適当と信じた定期刑よりも長い刑期を長期とすることもなく、第一審判決の短期より短い刑期を短期とすることも考え得られない(漫然たる不定期刑説においてはそうしたこともあり得よう。)不定期刑の形をとるのは、良心に從って刑の裁量をせねばならぬという原則と、旧刑訴四〇三條の定めた原則と、二つの要請に応ずるための当然の結果であるから、その法律的根拠は同條にあると云えよう。一見法律の定めていない刑を科するような外観を呈することに於ては、それは例えば第一審が窃盗の事実を認定して懲役一年の刑を言い渡した事件については、控訴審において強盗の事実を認定しても、一年以下の刑を科しなければならないのと似ている。両者の場合共に、外観上は法律の定めた刑以外の刑を科するように見えるけれども、実は法律の定めたところに從って科刑しているのである。

裁判官島保の反対意見は次のとおりである。

二つの処断刑をくらべて、一方の刑が他方の刑よりも、被告人の仮出獄がより早く許され、刑の執行をより早く終ることのできる法律上の可能性があるとすれば、その方の刑が軽く、他方の刑が重いことは言うまでもないことである。少年に対して懲役刑又は禁錮刑の短期と長期とを定めて言い渡すいわゆる不定期刑においては、その刑の短期の三分の一を経過した後は、仮出獄を許すことができ、その処分を取消されることなく仮出獄前に刑の執行をしたと同じ期間を経過したときは刑の執行を終ったものとなることは、法律が明らかに規定するところである(旧少年法一〇條、一一條、新少年法五八條、五九條)つまり、仮出獄を許すに必要な刑執行の期間は、法律上短期が標準となっているのである。されば、或る不定期刑の言い渡を受けた者に対して、その短期を超えた或る定期刑を科するとすれば、その短期を超えた期間の割合に応じてそれだけ法律上仮出獄を許すに必要な期間が長くなるわけであるから、その定期刑は不定期刑より重いこと明らかである。本件において、被告人は松山地方裁判所で一年以上二年六月以下の懲役に処せられ控訴したところ原審で懲役一年六月に処せられたのである。それゆえ、原審の科刑は第一審の刑より重いこと明白であって、旧刑訴四〇三條のいわゆる不利益変更禁止の規定に違反し、原判決は破毀を免れないものである。

不定期刑と定期刑との軽重を定める場合に不定期刑の長期を標準として比較する説(長期説)は、刑法一〇條を論拠とするが、同條は法定刑を比較する場合の規定であって、処断刑を比較する場合の規定ではない。処断刑の軽重を定める標準については何らの規定もないのである。そして、法定刑を比較する場合は、被告人を全く離れて抽象的に各犯罪につき定めた刑のうちにいづれが重いかを判断するだけであるが、処断刑比較の場合は、刑の言い渡を受けた特定の被告人にとって、いずれの刑が現実に重いかを判断するのであるから被告人に利益な面を度外視するわけにはゆかないのである。されば、不定期刑を含む処断刑比較の場合に刑法一〇條を準用することはできない。不定期刑と定期刑との軽重を定める場合に不定期刑の長期と短期との差の中間を標準として比較する説(中間説)は、何ら法律上の規定に基づかないで常識的に判断を下だし、その結果短期に附随する被告人の法律上の利益を奪うものである。長期説ならびに中間説は、いずれも本件のような場合における科刑の目的達成の妥当ということが暗々裡に思想の根底となっているものと思われるが、前述したように成法上の根拠なくして、法律が短期に認めている被告人の利益を奪うことは新憲法三一條の精神から考えても妥当でないから、これらの説には賛同することができない。本件の場合に原審は不定期刑を言い渡すべしとする説(不定期説)は、旧刑訴四〇三條からくる已むを得ない制約であるということを論拠とするのであるが他に解釈上の余地があり得る限り、かかる説を採用することができない。

(裁判長裁判官 塚崎直義 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 霜山精一 裁判官 栗山 茂 裁判官 真野 毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 齋藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 穂積重遠)

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